檄

      首都に現出せん 楡影の団欒を

    −寮歌の洗礼を受け 寮歌を餌として育まれ 今日ある我等

       大田C.H.の堂に 10月26日の佳日に会せん

     倶に杯を挙げ 歓を偕にし 青春の讃歌に声を和さん

       されば 若き日の我等が揺籃たりし北大 眼前に髣髴せん

       旌旗翻し 鐘鼓打ち鳴らし 蛮声浩歌 世の憂愁を破らん

                                ――

 銀漢冴やかに、手稲山頂秋色深ければ、山巒皚皚たる日も近い。

 樹葉は金色となりて舞い、樹影は長く地肌に泌む。白楊屹立する間を逍遥すれば、詩情は感動に変わる。「おごそかに北極星を仰ぐ哉」と。

 この感動は、広大なる空間と静寂なる時間の独占が可能な北大に学びし者の原体験というべきか。

この地を横山芳介は「人の世の清き国」と憧憬し、有島は「最も美しくなつかしき所」、「真理の揺籃」、「ソロモンが立てしシオンの地」などと記して、最大の慕情を寄せた。

 明治四十年恵迪寮歌が作り始められてより、星霜九十有五年。

 年々歳々作られてきた寮歌の数は、百を優に超える。 

昭和二十四年新制大学発足時、他校は寮歌の伝統の継承者を失った。しかし、北大はこの断絶が見られなかった本邦唯一の大学である。

 寮歌は恵迪寮の独占物ではなかった。北大生の共有財産として尊重されてきた。

寮歌のメロデーで入学は祝福され、「都ぞ弥生」を高唱して北大を卒えたことを、北大卒業生は追憶するであろう。 

在学の学生諸君による北大寮歌祭も、回を重ねること三十有五回。会場となったクラーク会館大講堂、教養大食堂(北部食堂)は、毎回学生諸君で溢れ、宛ら寮歌の坩堝と化す。しかも、彼等は精神的遺産−寮歌−を遺した先人に畏敬の念を捧げるのを忘れない。

 独り高唱して、充実を喚ぶもよい。友と相和して友情の絆を固めるのもよい。親しき友と美酒を酌み、「いざ吾が友よ熟睡せん。明日は人生の旅なれば」の心境に達するのもよい。

このように、北大の学生生活において、寮歌の効用は依然として著しい。擬似グレシャムの法則(「悪歌は寮歌を駆逐する」)の進行を、北大では阻止できようか。

 肩を組み乱舞し、ストームに陶酔するもよい。

フロンティアスピリット、牧歌的ロマンティシズム、クラークの遺訓。

ストームの歌は、これらの北大の精神を高揚させる。このような歌を持つことを、北大生は誇ってよい。

 ピュリタニズム、インターナショナリズム、ヒューマニズム−reine Menschlichkeitの希求−。これらの精神の基調も、寮歌に顕示されている。

 寮歌時代の終焉は北大にはない。その寮歌人口は、圧倒的な新制卒業生、とりわけ団塊世代以降の卒業生によって支えられている。

 世の多くの寮歌祭は、担い手が旧制卒業生に限られかねない。老人の感傷、エリート意識の発露、アナクロニズム等の謗りを免れかねない所以である。この謗りを戒めとし、

世代を超えて寮歌に相和す寮歌祭を志向しようではないか。